大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋家庭裁判所高崎支部 昭和38年(家)802号 審判 1965年12月24日

申立人 田中ユキコ(仮名)

不在者 原田栄子(仮名)

主文

本件申立は、これを却下する。

理由

申立人は、前掲不在者である原田栄子について失踪の宣告を求める旨申し立て、その理由を次のとおり述べた。即ち

一、右原田栄子は、さきに昭和一三年二月一四日九歳三ヵ月のとき本籍高崎市○○町三三番地の原田久江の養女となつているが、右の養母久江も明治四三年二月二日一一歳六ヵ月の頃同市○○町八七番地の芸妓置屋中山ナツの養女となり、その後芸妓として成人したが二七歳七ヵ月の大正八年三月五日右ナツと離縁し原田姓に復して後、昭和四年五月より同六年七月までの間東京府○○○郡○○町大字○○三三〇番地の田村勇と婚姻関係にあつた外、その離婚後も芸妓として渡世していたといわれ、不在者を養女としたのも、島根県○○郡○○村大字○○七三五番地の親権者母大松たきが、養子縁組届出を同地村役場に出していることでも判るように、いわゆる人身売買の形式化された縁組とみられる。

二、そしてその後不在者は、昭和二六年二月一九日アメリカ合衆国のサムダスターコリンと婚姻し、その届出が横浜市中区長になされ受付られているが、その以前には、同市を根城とするいわゆる「闇の女」を稼業とし、一定の住所として知られているところはなかつた模様であつて、右婚姻後は、配偶者サムダスターコリンに伴われてハワイに渡つたといわれるが、その後の消息についてはこれを知る手がかりが全くなく、日本駐在米国公署に依頼して調査せるも全然所在不明とのことである。

のみならず住民登録法施行後の本籍地たる高崎市の住民票を観ても、全然記載されていないのであつて、以上を総合して観るに、相当以前からその所在は知れず、婚姻届を提出した昭和二六年二月一九日にはその生存していたことが認められるけれども、その後のことについては、これを知り得る資料が全然なく、不在となつた最後の住所も判明せず、僅かに婚姻届が横浜市中区長に提出されたところから、町名地番の判らない同区内と推定されるのみである。

従つて婚姻届出の時即ち昭和二六年二月一九日より既に一二年四ヵ月余を経過しているが、その生死は全く不分明である。

三、申立人は、不在者の家屋即ち昭和三〇年四月二日養母久江の死亡により不在者が遺産相続をしたとされている高崎市○○町の建物を、その財産管理人との契約により賃借している者であるが、右の相続財産をめぐる第三者の不可解な紛争が展開されていて、申立人も現にその紛争に捲き込まれ、将来もその可能性が強く迷惑至極であるから利害関係人として(右賃借関係を通じての)不在者栄子につき失踪の宣告を求め、権利関係の正常化と明朗化を期したく、民法第三〇条に則り本申立をしたというのである。

けれども、民法第三〇条第一項にいう失踪宣告を申し立てうる利害関係人とは、同宣告を求めるについて重大な法律上の利害関係を有する者を指称する趣旨であることが判例学説の一致するところであつて、申立人のいう不在者の財産に関する賃借人としての利害関係を有するとの程度、即ち不在者の死亡を推定する失踪という重大な事項そのもの自体に対しては直接の利害関係ありと解し難い者は、同条の利害関係人に含まれないと解するのを相当とする。故にこそ不在者財産管理人選任の制度もあるのであつて、申立人は同管理人とその賃貸借契約より生ずる債権債務の関係を談合処理すれば足るものと解する。

よつて、本件申立はその適格性を欠くことになるので、これを却下すべきものとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 荻原竹儀)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例